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「1番打者としての・・・ 〜戦球眼〜」

みなさん「戦球眼」と言う言葉を知っているだろうか?
知るはずもないと思うこれは私が考えた造語だからだ。
選球眼はご存じ、球を見極める眼。
では選球眼ならぬ戦球眼とは何か?
ずばり戦球眼とは戦う球つまり勝負球を見極める眼。

私は小学4年生から野球を始め、高校までずぅっと1番を打ってきた。
光栄な事に千葉ロッチにおいても1番を打たせてもらうことも多く、
1番ではない時も常に1番打者という気持ちでバッターボックスに入っている。
私は1番打者に必要なものこそこの「戦球眼」ではないかと考えている。

攻撃の流れを作るのが1番打者である。だからこそ1番打者にこだわり、やりがいを感じている。
まず1番打者に求められるもの、それは出塁そして情報収集。
1番打者は文字通り1番目に打席に立ち、他の打者と比べより多くの打席に立つ。
1番に打席に入るということはつまり対するピッチャーの情報が少ないまま打席に立つことになる。
そこで1番打者はプレイボールがかかる前、ピッチング練習の時もしくはその前から情報収集が始まる。
ピッチャーのフォーム、スピード、コントロール、変化球の種類、球のキレ等の情報を総合し、初球を狙い出鼻を挫く、出来るだけ多く投げさせ後続バッターへの情報を収集する、セーフティバントを試みてピッチャーを揺さぶる等、どのような勝負をするかによって勝負球を見極める。つまり「戦球眼」をもっていかにして出塁するかを考える。

「1番打者はオールラウンダーでなければならない。」これは私の持論である。
1番打者は誰よりも多く打席がまわってくる分、だれよりも多くのあらゆる戦況においても対応しなければいけない。
時に2番打者のようにつなぎ役、時に4番打者のように決定打をうつ。
戦況に対応すべく「戦球眼」が必要となる。

余談であるが私にはもう一つ1番打者としてのこだわりがある。
それは三振をしないことである。三振は流れを断ち切ってしまう。
もっというとあらゆる可能性を断ち切ってしまうことにもなる。
フライでもゴロでもとにかく前にボールを飛ばせば何かが起こる「可能性」が残る。
その「可能性」が野球にとってはすごく大事で、打率も「打つ可能性」と考えると、
野球はより得点をとる可能性の高い攻撃をしかける、より0点に押さえる可能性の高い守備をする。
野球に限らずスポーツはその可能性の上に成り立っているとも言えるが野球はその「可能性」が流れを作り、ドラマを生む。
だから野球はやめられない。

長々とつづってきましたが今回のコラムを書くのにあたり何かキーになるフレーズは無いかと試行錯誤したところ、突然「戦球眼」というフレーズが浮かび、何となくそれについて書いてみました。
正直自分でも何を言っているのか良く分からないのですが、要するに何を言いたかったかというと野球はwatchよりplayということです。
汗をかき、泥まみれになって白球を追いかける。
これすなわち青春であります。

   背番号6 小田島奨
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