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「魅惑の肉体」


 今シーズンの開幕直後、快調なペースでヒットを重ねる福浦を抑え、パリーグ打率1位に君臨していた漢をおぼえているだろうか。ハンサムではないが愛嬌のある顔立ち、ユニフォームがはち切れんばかりの胸板、そして青いストッキングを膝下までまくりあげる定番のジャッキー・ロビンソン・スタイル。(一部の)西武ファンの間で絶大な人気を誇るGG佐藤(本名:佐藤隆彦)である。ちなみにGGというのは中学時代の同級生に「猫背で顔もジジくさい」ことからつけられたニックネームであり、登録名として使用するようになったのは中学時代の恩師である団野村氏のアイディアによるものだ。

 千葉で生まれた佐藤は市川リトルで野球を始め、中学に入ると後に野村沙知代騒動で有名になる港東ムースで頭角をあらわし、桐蔭学園から法政大学へと順調に野球エリートの道を歩んだ。しかし大学では、主に三遊間を守っていた佐藤は、抜群の守備力を持つ阿部真宏(オリックス)、六大学史上最速で三冠王を獲得した後藤武敏(西武)らのめざましい活躍により、苦しい立場に立たされる。野球一筋でやってきて初めての挫折である。そして三年生のときだ。こう振り返える。「結果が出ない。けがも多い。何かを変えようと思った。そうだ、まず体を鍛えよう。そのために朝食をちゃんと食べよう。生活を変えたら、面白いように体が変わってきた」。肉体改造がリズムにのってくると、それこそボディービルダーのような生活になっていく。朝三時に起きて食べ、また寝る。


 食事は日に五、六度。卵は一度に十個近く食べた。身長一八四a、体重八〇`の体が見る見るうちに大きくなった。野球への自信を付けた佐藤は米国行きを決意する。大学三年の冬だった。翌年、日本で行われたフィリーズの入団テストに、プロ選手も押しのけただ一人合格する。契約は捕手。強肩を見込まれたのだ。父親は大喜びした。「巨人の星」ばりに子どものころから佐藤を野球漬けにしてきた。甲子園にも出場できず、六大学での活躍もない。プロ野球や社会人野球からの誘いもない中で、やっとチャンスが巡ってきたのだ。

 周知のとおりMLBはメジャーからルーキーリーグまでの5階層で構成されていて、佐藤の所属していた1Aは下から2番目のランクにあたる。マイナーリーグは別名「ハンバーガーリーグ」と呼ばれる。食事代は一日二十j支給されるが、ナイター後では大抵の店が閉まっているし、金もない。ハンバーガーで済ますしかないのである。佐藤は「無性に日本食が食べたくなった」と正直に語る。食費以外の給料はわずか月に8万円ほど。佐藤は他の多くのマイナーリーガーがするように、ホームタウンの篤志家の元でホームステイをさせてもらい、生活を成り立たせていた。「メジャーで活躍すること。ヤンキースタジアムで本塁打を打ちたい」という夢はついに叶わなかったが、佐藤はこの過酷な環境で3年間強靱な精神力を養ったのである。−ところで私は常々NPBの、まだプロの世界で何もしていない若者にハングリー精神をスポイルするのに十分な額の契約金を与えてしまうシステムを変更して、退職金制度のようなかたちに移行するべきだと考えているが、それについてはまた機会があれば発表したいと思う。−

 尊敬するカブレラのいる西武ライオンズの入団テストを受け、ついに2003年秋、ドラフトで指名された佐藤は「マッチョルーキー」として(一部で)脚光を浴び、新聞等でも多く取り扱われることになる。ただそれは「好物はプロテイン」「体だけでなく人間として大きくなるためにトレーニングをしている」といったコメントを面白おかしく取り扱われる、いわばキワモノ扱いとしての注目でしかなく、プロとして最初の2年間は主に2軍の主砲としての役割を与えられるにとどまった。

 「3年やって芽が出なければやめる」と入団当初語っていた佐藤は、昨オフ大きな決心をする。今のままの体では結果を残すことはできない―。トレードマークだった豊かな筋肉に付随してついていた脂肪を削ぎ落とし、動きにキレを出すため2度目の肉体改造に着手した。


 単純に脂肪を落とすトレーニングをすると筋肉まで落ちてしまうため、一旦すでに体についていた筋肉と脂肪のほとんどを落とし、本人曰く「ガリガリの体」から肉体の再構築のためのトレーニングを開始した。プロテインは筋肥大系から瞬発系のものへ替え、筋肉に負荷を与えた後は鳥のササミを「見たくなくなるまで」食べ続ける生活。100キロを超えていた体重は90キロにまで絞った。そしてキャンプ、オープン戦の頃には見違えるほどシャープな肉体になっていた佐藤は、伊東監督をして「今オフに一番伸びた選手」と言わしめる動きを披露する。

 スピードアップにより盗塁も成功するようになり、強肩を活かした外野守備は1軍レベルのそれへと成長していた。

 開幕後15試合の時点で5割以上あった打率が.256まで急降下した佐藤は、6月3日の巨人戦を最後に1軍の舞台から姿を消した。イースタンでも不振を極め一時は2割を切る寸前まで落ち込んだが、夏を迎え体のキレが戻ってきた現在は打率を.331(8月15日時点)まで上げ、今シーズン2度目の開幕戦へ向け牙を研いでいる。
 10月、パ・リーグプレーオフ。苦境に耐え忍び、光の当たる場所を夢見つづけた漢が、最高の舞台で輝く姿を見られると私は信じている。

  田村 直人

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