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「私が選ぶ偉大な選手」

〜誰がなんと言おうと桑田真澄〜

(注)これは著者が個人的な想いで書いたものです。

 私は投手として桑田投手を尊敬している。1球に対する集中力、丁寧に投げ分けるコントロール、すべてが見習うべきことである。また、野手としても彼を尊敬している。投げ終えた瞬間に、野手の一人として守備に全力を尽くす姿、数少ない打席で自分のすべきことを認識したチームバッティングというように、野手としても一流である。さらに、野球に対する姿勢についても尊敬の念を抱いている。あきらめない精神、野球に対する想い。

最近、そのような彼に対して批判的な言葉がかけられることがしばしばある。「もう引退だ」、「桑田が投げては勝てない」などと周囲ではささやかれている。自分が尊敬している人がそのように言われるのはとても悔しい。しかし、一番悔しい思いをしているのは、他でもない、彼自身であろう。

172勝140敗14セーブ、防御率3.53、1975奪三振、最優秀防御率2回、MVP1回、奪三振王1回、最優秀勝率1回、ベストナイン1回、ゴールデングラブ賞8回、沢村賞1回(2005年終了時点)。読売巨人軍に入団して20年、このような偉大な功績を残している。200勝、2000奪三振という区切りまであと少しであるが、この成績で終えたとしても誰が責めようか。しかし彼は投げ続ける。この偉大な功績を傷つけてしまうとしても。全盛期のような投球ができなくなっても。

彼は、PL学園高校で1年生からエースとして5季連続甲子園出場。2度の優勝と2度の準優勝を誇り、自身も甲子園20勝を挙げた。そして1986年にドラフト1位で巨人に入団した。プロ入り後も2年目から6年連続二桁勝利をするなど活躍し、斎藤雅樹、槙原寛己と共に「先発の3本柱」と呼ばれた。さらに、1994年には14勝をあげて最多奪三振王にもなり、チームのリーグ優勝に貢献してMVPを獲得。特に伝説の10.8決戦では、七回から登板して中日打線を抑え、胴上げ投手となった。しかし、悲劇は突然起こった。

1995年5月、ここまで例年通りのピッチングを続け、今年も多くの人が活躍を期待していた。まさにそう思っていた矢先の出来事であった。

相手選手がバントを失敗し、小フライが3塁線上に上がった。彼は類まれな反射神経と守備力、ボールに対する執念でダイビングキャッチを試みた。その時、右肘を強打し、プロ入り後初の登録抹消、手術を余儀なくされた。右肘にメスを入れるということは、投手にとって致命傷となりかねないのである。それでも彼は周囲の反対を押し切って手術を決意した。もう一度マウンドに帰ってくるために。

そして彼は2年後の1997年4月に帰ってきた。ピッチャー・マウンドにたった彼は、プレートにひざまずいて祈りを捧げた。本当にここまで苦しかったのであろう。その日のマウンドには執念ともいえるような投球を続ける彼の姿があった。6回を被安打2、失点1、74球を投げきった、MAX143Km。彼は以前と変わらぬ輝きを放っていた。この年に10勝、翌年には16勝を挙げ、完全復活を果たした。

しかし、再び苦悩の日々が始まったのである。若手の台頭、中継ぎ・抑えへの転向などと、自分の力を出せずにいた。敗戦処理をさせられたり、重要な局面でリリーフして失敗したりしていた。さらに、ともに巨人の投手陣を支えた引退直前であった斎藤雅樹の勝ちを奪ってしまうこともあった。だが彼は投げ続けた。たとえ周囲から非難されようと、限界がささやかれようとも。そんな彼を、野球の神様は見捨てなかった。

2002年、彼は、原辰徳監督から先発起用を明言された。4月19日の阪神戦を1−0で投げ勝つと投げる試合すべてで好投し、開幕当初は谷間だったのがオールスター後にはエースと呼ばれるまでになっていた。シーズン終了時の防御率は2.22で、1987年以来、15年ぶりに最優秀防御率のタイトルを手にした。この15年ぶりのタイトル獲得は、村田兆治の13年ぶりタイトル獲得(1976・1989年最優秀防御率)を抜いて、歴代1位の記録である。このように彼は不死鳥のようによみがえった。

あれから4年、彼はまだ投げ続けている。しかし、最優秀防御率のタイトルを取った翌年から、再び思うような成績が残せていない。怪我なども重なり、去年は1勝すらできなかった。今年600日ぶりの勝利を手にしたものの、先日3回途中に降板し、再び崖っぷちに立たされている。でもきっと彼は戻ってくるだろう。そして、私はそんな彼を応援し続ける。彼が投げ続けるという意思を曲げない限り・・・。

少し前に、現在の巨人軍のエース上原投手が言った言葉がある。それは「雑草魂」である。踏みつけられても何度も起き上がる。その言葉は、今まさに桑田投手にふさわしい言葉であろう。そんな精神を持ち続ける彼に、やはり尊敬の念を抱かずにはいられない。だから、彼が納得いくまで野球を続けてほしい。私が辛いとき、壁にぶつかっているときに彼の姿が励みになる。だから、まだまだ「雑草魂」を私たちに見せつけてほしい。そして、もし彼が燃え尽きやめるときには、私は心から感謝の気持ちを送りたいと思う。

 河畑 善登
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